監視社会のカメラと子供たち

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声かけ写真展 Advent Calendar 2018参加記事。

旧態依然とした男性の写真家たちがすっかり意義を失っていることと平行して、声かけ写真展も、現代の子供たちと向き合うことはもはや不可能になっている。そのため、器具田教授らは、ノスタルジーを標榜しつつ、30年前に撮られた写真を展示している。では、子供たちのありのままの姿を写し取るというコンセプトを、現代のテクノロジーを用いて再興することは可能だろうか?

例えば、グーグルストリートビューの画像から、子供たちが写っている場面を抜き出して、その画像を大量に収集することを試みている者がいる。ただし、グーグルストリートビューでは、人間の顔にフィルターがかかるため、子供たちの表情を知ることはできない。なお、この試みは、ある閉鎖的なウェブサイトで発表されているため、ここで詳細を明かすことは避ける。

ところで、現代人は、さまざまな理由で、大量の監視カメラを設置している。近年では、インターネットを経由して映像を閲覧できる監視カメラが主流である。そして、そのような監視カメラのなかには、パスワードが設定されておらず、誰でも閲覧が可能になっているものがある。

Insecamは、パスワードが設定されておらず、誰でも閲覧できるようになっているウェブカメラを集めたウェブサイトである。ここに掲げられているカメラのなかには、例えばラジオ局の収録スタジオのように、一般公開を目的として設置されているものもある。しかし、カメラの設置者が、映像をインターネットに公開することを想定していないものもあるようである。

監視カメラの映像を見ていると、人間たちがどのようなものを守りたいと願っており、また、どのような外敵を恐れているかが見えてくる。例えば、住宅の裏口、野外の資材置き場、アパレル系の小売店の店内などに、世界各地の人々が、多数の監視カメラを設置している。

そして、当然ながら、これらのカメラに子供たちが写り込むことがある。一例を挙げると、この映像は、台湾のファストフード店が設置した監視カメラに写り込んだ子供たちである。

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声かけ写真展に反対する署名運動の発信者は、「知らないおじさんの声かけ」は「治安を乱す」と断言している。実際に、地域の安全を守り、成人男性を子供たちから隔離するために、多数の監視カメラが設置されている。しかし、その監視カメラを利用することで、子供たちのありのままの姿を写し取ることも可能である。

ウェブカメラで撮影される者と、それを見ている者は、ときには地球を半周するくらい遠く隔てられている。そして、カメラが設置されている地点が日没を迎えるまで、ただ黙ってPCの画面を見ていることになる。

女性写真家と声かけ写真展

「女性写真家」が声かけ写真を自然に撮れてしまうので男性写真家がオワコンになっていると、「アサヒカメラ」の佐々木広人編集長がハフポストのインタビューで発言した。

声かけ写真展 Advent Calendar 2018参加記事。

「アサヒカメラ」9月号が「この女性写真家がすごい」と題した特集を組んだことを受けて、佐々木広人編集長がハフポストのインタビューを受けた。このインタビューで編集長は、女性写真家が子どもに声をかけてコミュニケーションが取れてしまうので、男性たちは脇に追いやられているというようなことを言っている。当該部分を引用してみよう。

肖像権の話で、困ったといっているのはみんな男です。あんまり言いたくないけども、女性の方からそういう質問は来たことがないです。多分コミュニケーションができているんですね。

子どもに向き合って、街で見かけたかわいい子とかに、きちっときれいに声を掛けて。僕も現場に立ち会ったことありますけど、やっぱり緊張を和らげるんですよ。

僕なんか、こういう体つき、顔つきのせいか分からないけど、たぶん同じことはできない。だけど本当に、見事に緊張を和らげて、すっと入っていけるんですよ。だからスナップを撮る女性は面白いなと僕も感じていました。

振り返って、声かけ写真展はどうだろうか? 声かけ写真展に反対する人たちの最大の動機が、中年男性に対する嫌悪感であることを考えると、「女性写真家」たちがそれを自然に乗り越えていくことは、皮肉な現象である。

ところで、声かけ写真展は二重の意味で、現代の私たちにとっては意義を喪失した存在である。第1に、子供と成人男性が接触することに対する嫌悪感がますます強くなり、そのような行動がほとんど不可能になっていること。第2に、成人男性のカメラを経由するまでもなく、子供たちが自らインターネットに姿を晒していることである。

声かけ写真展の意義のひとつに、子供たちのありのままの姿を無作為に写し取ることがある。しかし、現代の子供たちは、生まれたときからインターネットとスマートフォンが身近にあり、子守唄がわりにYouTubeを見て育ってきた。だから、カメラを向けられると、ヒカキンこうくんねみちゃんがしているように、表情を作り、身振り手振りをそえて語り始める。

子供たちのなかには、自ら動画を撮影し、YouTubeにアップロードしている者も少なくない。そのため「女児ユーチューバー」とも称される文化が生まれた。鳩羽つぐはその精巧なフェイクであり、バーチャルユーチューバーとして人気を博している。

声かけ写真展は、現代の子供たちを相手には成立しないスキームである。そのため、ノスタルジーという言葉を使いながら、30年前のものとされる写真を展示するという手法を取っている。現代の価値観を振りかざして一方的に指弾するだけでは、見落としてしまうものがあまりにも多すぎる。

言葉を濁しながらも誤った主張を継続: 反展署名の訂正後の説明文

声かけ写真展反対署名の説明文は、写真展そのものとは無関係なキーワードをちりばめつつ、読者がそれを想像で補うことを期待した、悪質な印象操作だ。「児童ポルノ」「アダルトサイト」のような強い言葉を使うならば、言葉を濁さず、自身の主張を明らかにすべきだ。

声かけ写真展 Advent Calendar 2018参加記事。

反展署名の2018年12月7日のInternet Archiveを見ていく。

最悪、児童ポルノへのほのめかしとなる事が危惧されます。

声かけ写真展で児童ポルノは展示されていない。「児童ポルノへのほめのかし」という日本語が何を意味するか不明である。この点について大月久司氏にDMで問い合わせたので、別の記事で再検討するかもしれない。いずれにせよ、ウェブサイトの読者の79 %は流し読みをするので、「児童ポルノ」という単語だけが頭に残り、あたかも声かけ写真展が児童ポルノを展示していたかのような印象を与えるだろう。

声かけ写真展の写真は、普段通りの生活をしている被写体を、ポーズなどに特段の指示も与えずにそのまま撮影したものであり、明らかに児童ポルノではないし、どのように拡大解釈しても、児童ポルノにつながるものですらない

下記リンクから、どのような写真が撮影され、展示されているかの一例をご覧いただけます。

※ご参照ください。個人のブログです。

http://iks03.hatenablog.com/entry/2016/05/05/052829

YouTubeの無断転載動画へのリンクがなくなり、さやしの氏のブログ記事のみに依拠するようになった。1本のブログ記事のみを根拠することから、「性的なものが多く見られたという記事がネット上で散見される」という記述がなくなり、「個人のブログです」という注記がされるようになった。さやしの氏が特に薄着の画像だけを取り上げていることから、「どのような写真が撮影され、展示されているかの一例」というエクスキューズも付けられた。

いずれにせよ、特定の個人による、一部の写真を取り上げた、主観的な解釈によるブログ記事を紹介することは、それだけでも、署名運動の信頼性を根底から損なうものである。幼稚な言い訳をやめて、このブログ記事への言及をすべて削除すべきだ。

子供への権利侵害が疑われます。

「疑われます。」と言葉を濁している。自身の主張に確信が持てないのであれば、署名運動の根拠として記載すべきではない。

治安を乱す恐れがあります。

「恐れがあります。」と言葉を濁している。自身の主張に確信が持てないのであれば、署名運動の根拠として記載すべきではない。

その後数件の苦情が寄せられ、謝罪をなさっています。

修正前の「つまり、それだけ良くない反響が大きかった、という事がうかがえます。」という記述と比べると、ずいぶん主張が後退している。施設の管理者が、少数の苦情に負けて保身のために謝罪をすることはよく見られることで、言論の自由や集会の自由の観点から問題になっている。

それ自体は違法ではありませんし、このイベントが性的である事を裏付けるものではありません。

大月久司氏の文章に共通する問題として、自身では言葉を濁しつつ、断片的な情報を与えて読者に想像させることで、読者を署名へと誘導しているということがある。「このイベントが性的である事を裏付けるものではありません」とわざわざ言い訳をしているが、だとしたら、そもそもこの文章を署名運動の説明文に含める必然性がない。

第1回の開催で共同で運営をした、株式会社土は、アダルトサイトの運営もしていました。

株式会社土は、第1回の展に資金を提供しているものの、それ以降は展からは手を引いている。大月久司氏もそれについては同意しており、「第1回の開催で共同で運営をした」と注記を入れている。しかし、大阪展を阻止する趣旨からすれば株式会社土についての記述は不要であるし、どうしてもその記述を残すのであれば、第1回を除いては株式会社土が関与していないことを明記すべきだろう。

結局のところ、大月久司氏も当初はアダルトサイトに対する敵意を反展署名の主要な根拠にしていたのであり、それを前面に出さなくなった訂正後の説明文でも、多くの読者は同様の先入観を持って読むことが確実である。大月久司氏は言葉を濁して逃げているけれども、アダルトサイトの持つやましさ、いかがわしさといったイメージを読者が自主的に読み取ることを期待して、あえてこの記述を残している。

反展署名の説明文は、どこを取っても、署名運動の創始者自身が事実として認めていないことを、読者に想像させようとする、不正な印象操作である。

誤りが多く、無断転載動画へのリンクも: 反展署名の訂正前の説明文

声かけ写真展反対署名の訂正前の説明文は、YouTubeの無断転載動画と個人のブログに依存していた。タイトルは変わっても、「アダルトサイト」に対する偏見はそのままである。

声かけ写真展 Advent Calendar 2018参加記事。

反展署名の2018年12月6日のInternet Archiveがあるので、添削していこう。訂正後の説明文については別の記事でやっていく

実際に撮影された写真には、性的なものが多く見られたという記事がネット上で散見される

この説明文では、YouTubeの動画1本と、ブログ記事1本しか示されていない。しかも、後述のように、前者は後者の無断転載である。ということは、情報源は1方面しか存在しないことになり、「散見される」というのは問題がある。

「少女への性的虐待」が疑われます。

展の写真は、普段通りの生活をしている被写体を、ポーズなどに特段の指示も与えずにそのまま撮影したものであり、明らかに「性的虐待」ではない。

https://www.youtube.com/watch?v=Hl2rsz56c8U

この動画は、後述のさやしの氏のブログ記事から画像を無断転載したものである。この動画の投稿者であるGrover Brockは、インターネットのどこかから拾ってきた画像をつなぎ合わせ、BGMを付けただけの、粗悪な動画を量産している。このような粗悪な動画を引用することは、署名運動そのものの信頼性を損ねるだろう。

http://iks03.hatenablog.com/entry/2016/05/05/052829

これは、さやしの氏によるブログ記事である。さやしの氏は「私なんかは、この子のことをエロティックだと思っちゃいます。」と記述しているが、これは特定の来場者による主観的な解釈であり、他の平均的な来場者の反応とは異なる。また、さやしの氏の記事は薄着の写真を多く載せているが、撮影された時点の季節や天候によって服装は変化するのが自然であり、さやしの氏が掲載した写真をもって展の傾向を判断すべきではない。

前回の開催地の世田谷ものづくり学校様は、このイベントを開催したことを謝罪なさっています。つまり、それだけ良くない反響が大きかった、という事がうかがえます。

これは2016年当時の状況を振り返ると、さやしの氏の記事を含む少数の一次情報をもとに、複数のネットメディアが憶測で記事を書き、それを見た少数の人物が会場にクレームを入れたというのが実態である。会場が謝罪したのは、いま思えば過剰反応だったのではないか。

運営は過去にアダルトサイトを運営していたことがあります。

この「運営」というのが、器具田教授を指すのか、株式会社土を指すのか曖昧である。器具田教授であるとすれば、そのウェブサイトはテキスト中心であり、画像はわずかである。内容は人形デザインとパーツ企画である。いずれにしても、多くの読者が「アダルトサイト」という言葉から連想するものとはまったく異なる。

株式会社土については、第1回の展では資金提供を行ったものの、それ以降は関係を断っている。器具田教授がクラウドファンディングを始めたのも、そのような事情があるようだ。

いずれにせよ、「アダルトサイト」という記述は、反展署名の説明文の訂正後にも尾を引くこととなる。もとはといえばBuzzFeedが悪い。

反展署名、タイトルから「アダルトサイト」を削除

声かけ写真展反対署名の当初のタイトルは、「アダルトサイト」に対する偏見に満ちており、その主張はBuzzFeed Newsの受け売り。

声かけ写真展 Advent Calendar 2018参加記事。お前らが記事を書くまで10日くらいかかるだろうから、それまでは私が一人で埋めてやろう。これで2日目だ。

字数を節約するため、声かけ写真展は単に「展」と略す。声かけ写真展に反対する署名運動は反展署名と略す。

反展署名の当初のタイトルは「アダルトサイト運営者による、声かけ写真展の廃止を!」だったが、2018年12月5日に「「保護者に無断」で「女児の写真を展示、販売」する、【声かけ写真展】の廃止を!」に変更された。なんか括弧が増えてややこしくなった。

展アンチからすれば展を叩くポイントはいくらでもあるはずだが、なぜあえて「アダルトサイト」をタイトルに持ってきたか。現代人であれば、ほとんどの人がアダルトサイトを利用したことがあるわけで、わざわざ叩くようなものではない。私は素朴ディジタル画像インフラストラクチャー3.distsn.orgを運営しており、エロ画像をアップロードするユーザーもいるようなので、アダルトサイトを運営しているようなものだ。

BuzzFeed Newsに世田谷の「声かけ写真展」で少女写真を販売 主催者はアダルトサイト運営もというタイトルの記事があるので、おそらくこれが元ネタだろう。ユーザーの環境にもよるが、Googleで「声かけ写真展」で検索するとBuzzFeed Newsの記事が先頭に出る。

とはいえ、器具田教授はアダルトサイトを運営していない。株式会社土は過去にアダルトサイトを運営していたことがあるが、株式会社土の関与は第1回の展に資金提供したのみであり、それ以降は関与していない。

いずれにせよ、タイトルから「アダルトサイト」を除いたのは良いことだ。古いタイトルに引かれて署名したユーザーをどう扱うかというのは、また別の問題である。

Change.orgは署名数の表示の嘘演出をやめろ

この記事は声かけ写真展 Advent Calendar 2018の参加記事だが、まずはChange.orgに対する呪詛を書く。

Change.orgの署名数の表示の挙動は奇妙だ。ページをリロードすると、署名数がいくらか巻き戻り、そこから表示がカウントアップされて、本来の値に戻る。つまり、ページがロードされた時点では、本来の署名数よりも少ない値が表示されており、そこから本来の署名数までカウントアップする演出が入っている。これにより、あたかも署名数がリアルタイムで増え続けているかのような錯覚が生まれる。

署名数とかいう超重要な数値に嘘を書くのをやめろ。この愉快な仕様を考えた奴は考えられる限りの愉快な生涯を送ってほしい。

ところで、いまから思いつきで分散SNS Advent Calendar 2018参加記事にするので、マストドンの話を書きます。マストドンも、インスタンスの登録ユーザー数とか、ユーザーのフォロワー数あたりに、この演出を取り入れたらいいと思う。最初はわざと数字を少なく表示して、リアルタイムにユーザー数なりフォロワー数が増えているように見せかければ、ライブ感が出る。

ところで鳥ではフォロワー数とかいいね数を表示するのをやめたいみたいな愚痴があるらしく、これまでさんざんインターネット・オブ・セレブリティを煽っておいて、いまさらなんなんだという感がある。Pleromaには「とうこうのとうけいをかくす (れい: おきにいりのかず)」と「ユーザーのとうけいをかくす (れい: フォロワーのかず)」という最高の設定があるので、そのようにすると良い。

制度的苦痛と根源的苦痛

異齢愛が異常とされない社会では、異齢セックスが行われても児は苦痛ではないし、性嫌悪者にもならないという仮説を持っている。ただし、この仮説には穴があって、家父長制なり男尊女卑が社会的規範である環境において、女性たちが苦痛を感じなかったかというと、そんなわけはないだろうというのがある。

いずれにせよ、制度的な苦痛と根源的な苦痛という概念を得たことは、広範な応用が期待できる。例えば、インターネットには、キリスト教が主流でない社会においてキリスト教の家庭に生まれたというだけで、親を一生恨んでる人もいる。これを制度的な苦痛と表現することで、本人の苦痛は真正のものであることに留意しつつ、キリスト教の側だけに責任があるわけではないことを含意することができる。

あるいは、インターネットにおける政治的な発言の99 %は、制度的な苦痛の表明である、というアフォリズムも可能である。このブログでは、かつて同じことをマジョリベーションという用語で説明したが、「制度的な苦痛」という用語であれば、より穏当に表現することができるだろう。

ところで、根源的苦痛と制度的苦痛を区別することは可能だろうか? 実際のところ、根源的苦痛は存在せず、あらゆる苦痛は制度的苦痛であるかもしれない。ただし、あまりに普遍的であるために変革することを想像することが難しい制度と、当座の権力者によって人工的に維持されている制度を区別することは可能である。私たちが従属している制度と、その制度によってもたらされる (あるいは、その制度の周縁における軋轢から生じる) 苦痛が、どの程度まで普遍的であるかは、制度の内側にいる者であっても、判断することが可能だろう。