制度的苦痛と根源的苦痛

異齢愛が異常とされない社会では、異齢セックスが行われても児は苦痛ではないし、性嫌悪者にもならないという仮説を持っている。ただし、この仮説には穴があって、家父長制なり男尊女卑が社会的規範である環境において、女性たちが苦痛を感じなかったかというと、そんなわけはないだろうというのがある。

いずれにせよ、制度的な苦痛と根源的な苦痛という概念を得たことは、広範な応用が期待できる。例えば、インターネットには、キリスト教が主流でない社会においてキリスト教の家庭に生まれたというだけで、親を一生恨んでる人もいる。これを制度的な苦痛と表現することで、本人の苦痛は真正のものであることに留意しつつ、キリスト教の側だけに責任があるわけではないことを含意することができる。

あるいは、インターネットにおける政治的な発言の99 %は、制度的な苦痛の表明である、というアフォリズムも可能である。このブログでは、かつて同じことをマジョリベーションという用語で説明したが、「制度的な苦痛」という用語であれば、より穏当に表現することができるだろう。

ところで、根源的苦痛と制度的苦痛を区別することは可能だろうか? 実際のところ、根源的苦痛は存在せず、あらゆる苦痛は制度的苦痛であるかもしれない。ただし、あまりに普遍的であるために変革することを想像することが難しい制度と、当座の権力者によって人工的に維持されている制度を区別することは可能である。私たちが従属している制度と、その制度によってもたらされる (あるいは、その制度の周縁における軋轢から生じる) 苦痛が、どの程度まで普遍的であるかは、制度の内側にいる者であっても、判断することが可能だろう。

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投稿者: Hakaba Hitoyo

墓場一夜

“制度的苦痛と根源的苦痛” への 1 件のフィードバック

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