フラットデザイン化された神と、そのエバンジェリスト

面倒なので引用元にリンクしないが、「同意していない相手を性的な行為に巻き込むことは性暴力」であるという主張が、原文では太字で書かれている。

シンプルなルールで倫理を再定義したいという欲求は、現代の日本に特有であるように思われる。歴史的には、たとえば新約聖書は、饒舌なたとえ話に満ちている。

あるいは、インターネットの論客に対しては、「四本脚はよい、二本脚は悪い」程度のスローガンがお似合いだと判断したのかもしれない。残念ながら、これはまったくの逆効果である。これまでに、インターネットの論客のうちでも特に幼稚な者たちが、同様のスローガンを嬉々として反復してきた (1, 2, 3, 4) からである。

結局のところ、牧村朝子はフラットデザイン化された神を発明したように見える。しかし、これは神ではなくモンスターに過ぎない。「同意」が実際には何を意味するかを明らかにするためには、『資本論』よりも長大な論考が必要である。私たちがスマートフォンでアイコンをタップするとき、内部では100万ステップのプログラムがあわただしく実行される。いずれもシンプルなのは見た目だけである。

フラットデザイン化された神に仕えるエバンジェリストが、野蛮な原住民を教化しようと決意したならば、その神を過信しないことが何よりも重要である。あなたは殉教者になることを覚悟しているだろうか?

私たちの弓矢には、すでに猛毒が塗られている。

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投稿者: Hakaba Hitoyo

墓場一夜

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