99 %の著作権厨と1 %のエリート: 日本語圏のインターネットにおける法と正義

慶応義塾大学の田中辰夫教授が「著作権厨」という用語を提唱した。田中によれば、「議論を阻む一番の障害が、著作権に非常にうるさく、現行の著作権法を絶対だとまきちらす『著作権厨』だ」とのことであり、「『著作権厨』という言葉を広め、その影響力を下げること」を目指しているという。

私はかつて「法フィリア」という用語を提唱した。この用語も、念頭に置いているのは著作権法であったため、「著作権厨」と意味はほとんど同じである。わかりやすさで言えば、著作権厨のほうが優れているだろう。

では、著作権厨または法フィリアとは、実際にはどのような人たちなのだろうか? 日本語圏のマストドンの鯖缶界隈を例に見てみよう。

日本語圏のマストドンの鯖缶界隈も、メンタリティは著作権厨に近い。GDPR、刑法175条、著作権法といったこまごまとした法や規則に、常におびえている。自分たちのインスタンスが違法にならないことに神経を注ぐ一方で、分散SNSやインターネットがどうあるべきかを考えている者は少ない。THE_BOSSが刑法175条との戦いを通してリベラルな意見を表明していたことが、稀有な例外であろう。

マストドンの鯖缶が務まるくらいなのだから、技術も知性も、インターネットの平均的なユーザーよりはだいぶ上なはずである。この例からすると、著作権厨の何が問題なのか理解できるのは、ごく少数のエリートだけだろう。慶応大学の田中教授に代表されるような1 %のエリートたちが、インターネットの著作権厨を発見するのに2019年までかかってしまったのは、遅きに逸した感がある。

あるいは、インターネットのユーザーの大半は、そもそも著作権という概念を理解していないのだろうか? 漫画村が注目されてからというもの、出版社たちが無知な民衆を「啓蒙」することで、大量の著作権厨を作り出そうと奮闘しているのは、皮肉な成り行きである。

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就活サイトは心理検査を課すのをやめろ

新卒用の就活サイト、たとえばリクナビやマイナビに求職者として登録すると、SPIや玉手箱などの検査を課される。これらは精神医療のための検査、特に発達障害の診断に使われる心理検査と酷似している。これらの検査を、医療者による支援なしに受験することは危険であるし、その結果が就活業者と求人者に利用されることは、さらに重大な問題である。

就活サイトでもメンタルクリニックでもなく、インターネットで心理検査を受けることも可能であり、psycho.longseller.org などが知られている。psycho.longseller.orgで提供されている心理検査のうち、たとえば矢田部ギルフォード性格検査では、「質問の意味を表示する」という機能を使用できる。これをONにすると、「一般企業で好まれるのは、A型 (平均タイプ) もしくはD型 (適応者タイプ) でしょう。」と、求人者から見て高評価となる回答が公然と指示される。

心理検査をモチーフにしたゲームとしてALTER EGOが知られている。このゲームは、心理検査の結果をSNSに投稿する機能があり、自ら検査結果を公表するユーザーも多い。

他にも、インターネットで「性格診断」などと称している検査は、根拠が怪しげなものも含め、無数に存在する。

就活業者と求職者に一方的に検査結果を利用されるよりは、検査結果をインターネットに自ら公表するほうが、まだフェアであると言えるだろう。最も良いのは、医療者の支援のもとで、本格的な心理検査を受けることである。しかしながら、メンタルクリニックを受診するには金も時間もかかる。(なお、ほとんどの医療行為は保険適用であるため、自己負担額は少ない。) また、医療者の質や相性はさまざまであり、受診によって必ずしも良い結果が得られるとは限らない。

読者の便宜のため、発達障害者向けの心理検査の検査結果例を以下に示す。これは、墓場人夜の検査結果を、被験者自身の意志によって公表するものである。

就活サイトは心理検査を課すのをやめろ。

過去の一点に囚われた心: 天体のメソッド12話の衝撃

これはクソじゃないアニメ Advent Calendar 2018参加記事ではありません。

天体のメソッドと書いて「そらのメソッド」と読む。厄介なオタクに深く愛されながら金を生まなかったアニメ。天体のメソッドの実質2期であるフリップフラッパーズもそんな感じだ。フリップフラッパーズは専用の分散SNS実装があるくらいなので、厄介なオタクにさらに深く愛されている。

最高の作画。豪華な声優。最高のキャラデザ。最高の楽曲。そして難解なストーリー。

なお、ここで便宜のために、各話のストーリーまとめ。

  • 1話: チュートリアル兼ノエルルート。
  • 2話から5話: 柚季ルート。
  • 6話: 温泉回。
  • 7話: 墓参り。
  • 8話: 汐音ルート。
  • 9話から11話: ノエルの盛大な葬式。
  • 12話から13話: 第2世界。

天体のメソッドは、放送当時の視聴者たちのコメントとともに振り返りたいアニメだ。あらゆる意味で予想不可能なストーリー展開に、視聴者たちは右往左往させられた。振り落とされたオタクたちは「ノエルがかわいいだけのアニメ」というインターネットミームを生み出した。2話から4話までの柚季ルートでは、円盤反対運動を原発と重ね合わせる意見が見られたものの、5話以降は自然消滅した。原発を抜きにしても柚季ルートは異常なアニメで、こじれにこじれた柚季さんの巨大感情が5話のほんの数分でスッと解決する鮮やかな手腕に度肝を抜かれたものだ。

萌えアニメが安易に登場人物を高校生にしがちな風潮 [要出典] のなか、天体のメソッドは、中学生の良さがたっぷり詰まったアニメだ。ちなみに中学生をたっぷり見られるアニメには、ゆるゆり、放課後のプレアデス、フリップフラッパーズなどが知られており、けっこう多いな。中学生だけではない。天体のメソッドでは、作中で言うところの「7年前」、単純計算すると小学2年生のみなさんもたっぷり見られる。小学生の乃々香さんの、コートのすそからシャツのすそが出ちゃってるファッションが良すぎる。ノエルも、「7年前」のみなさんの姿を模している存在なので、だいたい小学2年生の外見である。ノエルの衣装は脚が強調されてるので、小学生なのにエロい。これはたぶんキャラデザの秋谷有紀恵先生がクソ強く、中学生や小学生を容赦なく無限にエロくすることができる。

このアニメで頻繁に出てくる謎ワードが「7年前」だ。このアニメは、一貫して、7年前にあったはずの出来事に、中学生たちが粘着しまくる話である。別に殺人事件とかそういう強いやつではない。7年前の出来事は以下。

  • 円盤を呼ぶ儀式をした。
  • 乃々香が転校するとき、そのことを友達たちに伝えられなかった。
  • 乃々香の母が病気で死んだ。

改めてリストにしてみると、1個目はともかく、2個目と3個目を気にしてるのは乃々香さんだけっぽい。そして、その1個目も、はちゃめちゃなトリックによって除去される。

問題の12話。時間が半年だけ巻き戻り、乃々香さんが霧弥湖町に転居するシーンが繰り返される。1話から11話まで積み上げてきたお話がすべてなかったことになるという、たいへんな回だ。第1世界線と第2世界線の違いは以下。

第1世界線:

  • 巨大な円盤がある。
  • ノエルがいる。
  • 霧弥湖町組のみなさん (柚季、こはる、湊汰) は乃々香のことを忘れてた。
  • 乃々香は7年前のことを忘れていた。

第2世界線:

  • 円盤は呼んだけど来なかった。
  • ノエルはいない。
  • 霧弥湖町組は乃々香のことを記憶していた。
  • 霧弥湖町組は第1世界線の記憶がない。
  • 乃々香と汐音は第1世界線の記憶がある。
  • 乃々香は7年前の記憶が戻っている。(第1世界線の過程で思い出したので。)

天体のメソッドは、自分自身がフィクションであることに自覚的な作品である。第1世界線では、円盤やノエルといった異常な存在があり、それが原因の一端となって、さまざまな不和と和解があった。対照的に、第2世界線では、いかにもフィクションらしい劇的な存在が除去されている。乃々香が霧弥湖町組と再開するシーンは、特に劇的な出来事はなく、あっさりと終わっている。

第1世界線と第2世界線では、記憶の有無と、記憶があったりなかったりする期間 (7年前と半年前) が複雑に交代している。第1世界線において、乃々香が記憶を失っていた原因は、母との死別が辛かったためとされている。これは設定に無理があるようにも感じられるが、第1世界線は第2世界線から見れば半分フィクションのような位置づけなので、これはこれで良いのかも知れない。

乃々香の心が7年前に囚われている原因のうち、円盤は第2世界線では存在しないし、母の死は第7話で乗り越えたことになっている。残るのは、自分が引っ越すことを、友達たちに伝えられなかったことだ。

乃々香の心残りには2種類のバリエーションがある。第1種は、天文台で円盤を呼ぶ儀式をしたあと、汐音を呼び止めたけれども、引っ越すことを言い出せなかった場面。第2種は、天文台でノエルと遊んだあと、両親の乗る自動車に戻ったところで、そのまま天文台を離れることになった場面である。後者は前者の象徴みたいなもので、乃々香の7年前からの心残りが、ノエルの形を取っているように見える。

しかし、第2世界線では、乃々香が引っ越しを伝えられなかったことに対して、特に誰も気にしていない風である。冷静に考えてみれば、それはそうだろう。ともあれ、乃々香の後悔は宙に浮いてしまう。だから、第2世界線にはノエルがいないし、ノエルとの半年間の記憶をめぐって乃々香が空回りすることになる。

ここで、霧弥湖町組 (柚季、こはる、湊汰) と汐音は対応が別れることになる。前者は、その場では悲しかっただろうけど、転校していった友達のことをいつまでも悲しんだり恨んだりする理由がない。汐音と乃々香の関係はちょっと特殊で、汐音はものすごく悲しかったけど、乃々香と再び出会えたことで、過去の悲しみは吹き飛んだのだと思う。

13話の最後の場面で、奇跡を目の当たりにした乃々香たちは、表情が固まったまま動かない。中学生たちにとって、奇跡は無邪気に喜べるものではなく、おそるべき異常と判断して固まってしまう。

過去の一点に囚われた中学生はエモい。

監視社会のカメラと子供たち

声かけ写真展 Advent Calendar 2018参加記事。

旧態依然とした男性の写真家たちがすっかり意義を失っていることと平行して、声かけ写真展も、現代の子供たちと向き合うことはもはや不可能になっている。そのため、器具田教授らは、ノスタルジーを標榜しつつ、30年前に撮られた写真を展示している。では、子供たちのありのままの姿を写し取るというコンセプトを、現代のテクノロジーを用いて再興することは可能だろうか?

例えば、グーグルストリートビューの画像から、子供たちが写っている場面を抜き出して、その画像を大量に収集することを試みている者がいる。ただし、グーグルストリートビューでは、人間の顔にフィルターがかかるため、子供たちの表情を知ることはできない。なお、この試みは、ある閉鎖的なウェブサイトで発表されているため、ここで詳細を明かすことは避ける。

ところで、現代人は、さまざまな理由で、大量の監視カメラを設置している。近年では、インターネットを経由して映像を閲覧できる監視カメラが主流である。そして、そのような監視カメラのなかには、パスワードが設定されておらず、誰でも閲覧が可能になっているものがある。

Insecamは、パスワードが設定されておらず、誰でも閲覧できるようになっているウェブカメラを集めたウェブサイトである。ここに掲げられているカメラのなかには、例えばラジオ局の収録スタジオのように、一般公開を目的として設置されているものもある。しかし、カメラの設置者が、映像をインターネットに公開することを想定していないものもあるようである。

監視カメラの映像を見ていると、人間たちがどのようなものを守りたいと願っており、また、どのような外敵を恐れているかが見えてくる。例えば、住宅の裏口、野外の資材置き場、アパレル系の小売店の店内などに、世界各地の人々が、多数の監視カメラを設置している。

そして、当然ながら、これらのカメラに子供たちが写り込むことがある。一例を挙げると、この映像は、台湾のファストフード店が設置した監視カメラに写り込んだ子供たちである。

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声かけ写真展に反対する署名運動の発信者は、「知らないおじさんの声かけ」は「治安を乱す」と断言している。実際に、地域の安全を守り、成人男性を子供たちから隔離するために、多数の監視カメラが設置されている。しかし、その監視カメラを利用することで、子供たちのありのままの姿を写し取ることも可能である。

ウェブカメラで撮影される者と、それを見ている者は、ときには地球を半周するくらい遠く隔てられている。そして、カメラが設置されている地点が日没を迎えるまで、ただ黙ってPCの画面を見ていることになる。

女性写真家と声かけ写真展

「女性写真家」が声かけ写真を自然に撮れてしまうので男性写真家がオワコンになっていると、「アサヒカメラ」の佐々木広人編集長がハフポストのインタビューで発言した。

声かけ写真展 Advent Calendar 2018参加記事。

「アサヒカメラ」9月号が「この女性写真家がすごい」と題した特集を組んだことを受けて、佐々木広人編集長がハフポストのインタビューを受けた。このインタビューで編集長は、女性写真家が子どもに声をかけてコミュニケーションが取れてしまうので、男性たちは脇に追いやられているというようなことを言っている。当該部分を引用してみよう。

肖像権の話で、困ったといっているのはみんな男です。あんまり言いたくないけども、女性の方からそういう質問は来たことがないです。多分コミュニケーションができているんですね。

子どもに向き合って、街で見かけたかわいい子とかに、きちっときれいに声を掛けて。僕も現場に立ち会ったことありますけど、やっぱり緊張を和らげるんですよ。

僕なんか、こういう体つき、顔つきのせいか分からないけど、たぶん同じことはできない。だけど本当に、見事に緊張を和らげて、すっと入っていけるんですよ。だからスナップを撮る女性は面白いなと僕も感じていました。

振り返って、声かけ写真展はどうだろうか? 声かけ写真展に反対する人たちの最大の動機が、中年男性に対する嫌悪感であることを考えると、「女性写真家」たちがそれを自然に乗り越えていくことは、皮肉な現象である。

ところで、声かけ写真展は二重の意味で、現代の私たちにとっては意義を喪失した存在である。第1に、子供と成人男性が接触することに対する嫌悪感がますます強くなり、そのような行動がほとんど不可能になっていること。第2に、成人男性のカメラを経由するまでもなく、子供たちが自らインターネットに姿を晒していることである。

声かけ写真展の意義のひとつに、子供たちのありのままの姿を無作為に写し取ることがある。しかし、現代の子供たちは、生まれたときからインターネットとスマートフォンが身近にあり、子守唄がわりにYouTubeを見て育ってきた。だから、カメラを向けられると、ヒカキンこうくんねみちゃんがしているように、表情を作り、身振り手振りをそえて語り始める。

子供たちのなかには、自ら動画を撮影し、YouTubeにアップロードしている者も少なくない。そのため「女児ユーチューバー」とも称される文化が生まれた。鳩羽つぐはその精巧なフェイクであり、バーチャルユーチューバーとして人気を博している。

声かけ写真展は、現代の子供たちを相手には成立しないスキームである。そのため、ノスタルジーという言葉を使いながら、30年前のものとされる写真を展示するという手法を取っている。現代の価値観を振りかざして一方的に指弾するだけでは、見落としてしまうものがあまりにも多すぎる。

Profile directoryのフェアネスはいまひとつ: Gargronはスパムとの戦いに向いてない

分散SNS Advent Calendar 2018参加記事。

追記 Good news! フォロワーが多い順の配列は削除された

マストドンにProfile directoryが導入された。これは、あるインスタンスに所属しているユーザーの一覧である。オプトインしたユーザーのみが表示される。この新しいユーザーディスカバリーメソッドに対して、さっそくフェアネスを評価しよう。

Profile directoryの並び順は、最近トゥートした順と、フォロワーが多い順を選択できる。デフォルトは前者である。

最近トゥートした順のアンフェアネスは、まあ悪くない。このアンフェアネスはローカルタイムラインとほぼ同等で、オールディーズエフェクトとポジティブフィードバックは発生しないが、パワーユーザーエフェクトがある。

フォロワーが多い順のアンフェアネスは最悪で、オールディーズエフェクトとポジティブフィードバックが効いてしまう。

さらに悪い知らせがある。このリストに載るためには、フォロワー数が10を超えていることが必要である。しかしながら、新規のユーザーが10人のフォロワーを獲得するには時間がかかる。その前にマストドンを離れていってしまうユーザーも少なくないだろう。

これには悪い前例がある。k52のマストドンインスタンス一覧は、ユーザー数が20人以上のインスタンスしか掲載しないという制限を課した。その結果、ちょうど20個のダミーユーザーを作成したインスタンスも現れている。

なお、dtp-mstdn.jpでは、この制限を緩和し、1名以上のフォロワーがいればProfile directoryに掲載されるようマストドンをカスタマイズしている。

Gargronは、Profile directoryへの掲載をフォロワー数10人以上に限定した理由として、スパム防止を挙げている。しかし、スパマーであれば、10個のダミーユーザーを用意するくらい朝飯前だろう。私はこのことをGargronに@して問い合わせたが、「スパムに対して何も防御しないことはできない」と言って、私の提案を却下した。

これはGargronの悪い癖だ。マストドンはメールアドレスの収集をやめろという話は古くからあるが、Gargronはスパム防止を理由にこれを拒み続けた。果たして、メールアカウントの作成を自動化したスパムが現れ、多くのインスタンスで猛威を振るった。これに対抗するため、マストドン本体では、メールアドレスのドメインブロックの挙動が改良された。また、一部のインスタンスでは、独自機能としてreCAPTCHAを導入している。

スパムを防止するならば、スパマーがすぐに対抗できてしまうような形だけの対策は無意味だ。それどころか、正規のユーザーの正当な利用を、おおいに妨害している。メールアドレスのバリデーションはユーザーにとって煩雑であるし、メールアドレスの収集はプライバシーの問題もある。なかなか10人のフォロワーを集められない新規ユーザーが、Profile directoryに掲載される機会を得られないことも問題だ。

スパムに対抗するために、本質的に意味のある対策はCAPTCHAのみである。MisskeyはreCAPTCHAを導入している。Pleromaは、あまりに弱小勢力であるがゆえに、スパマーに相手にされていないにもかかわらず、2018年12月18日にCAPTCHAを導入した

言葉を濁しながらも誤った主張を継続: 反展署名の訂正後の説明文

声かけ写真展反対署名の説明文は、写真展そのものとは無関係なキーワードをちりばめつつ、読者がそれを想像で補うことを期待した、悪質な印象操作だ。「児童ポルノ」「アダルトサイト」のような強い言葉を使うならば、言葉を濁さず、自身の主張を明らかにすべきだ。

声かけ写真展 Advent Calendar 2018参加記事。

反展署名の2018年12月7日のInternet Archiveを見ていく。

最悪、児童ポルノへのほのめかしとなる事が危惧されます。

声かけ写真展で児童ポルノは展示されていない。「児童ポルノへのほめのかし」という日本語が何を意味するか不明である。この点について大月久司氏にDMで問い合わせたので、別の記事で再検討するかもしれない。いずれにせよ、ウェブサイトの読者の79 %は流し読みをするので、「児童ポルノ」という単語だけが頭に残り、あたかも声かけ写真展が児童ポルノを展示していたかのような印象を与えるだろう。

声かけ写真展の写真は、普段通りの生活をしている被写体を、ポーズなどに特段の指示も与えずにそのまま撮影したものであり、明らかに児童ポルノではないし、どのように拡大解釈しても、児童ポルノにつながるものですらない

下記リンクから、どのような写真が撮影され、展示されているかの一例をご覧いただけます。

※ご参照ください。個人のブログです。

http://iks03.hatenablog.com/entry/2016/05/05/052829

YouTubeの無断転載動画へのリンクがなくなり、さやしの氏のブログ記事のみに依拠するようになった。1本のブログ記事のみを根拠することから、「性的なものが多く見られたという記事がネット上で散見される」という記述がなくなり、「個人のブログです」という注記がされるようになった。さやしの氏が特に薄着の画像だけを取り上げていることから、「どのような写真が撮影され、展示されているかの一例」というエクスキューズも付けられた。

いずれにせよ、特定の個人による、一部の写真を取り上げた、主観的な解釈によるブログ記事を紹介することは、それだけでも、署名運動の信頼性を根底から損なうものである。幼稚な言い訳をやめて、このブログ記事への言及をすべて削除すべきだ。

子供への権利侵害が疑われます。

「疑われます。」と言葉を濁している。自身の主張に確信が持てないのであれば、署名運動の根拠として記載すべきではない。

治安を乱す恐れがあります。

「恐れがあります。」と言葉を濁している。自身の主張に確信が持てないのであれば、署名運動の根拠として記載すべきではない。

その後数件の苦情が寄せられ、謝罪をなさっています。

修正前の「つまり、それだけ良くない反響が大きかった、という事がうかがえます。」という記述と比べると、ずいぶん主張が後退している。施設の管理者が、少数の苦情に負けて保身のために謝罪をすることはよく見られることで、言論の自由や集会の自由の観点から問題になっている。

それ自体は違法ではありませんし、このイベントが性的である事を裏付けるものではありません。

大月久司氏の文章に共通する問題として、自身では言葉を濁しつつ、断片的な情報を与えて読者に想像させることで、読者を署名へと誘導しているということがある。「このイベントが性的である事を裏付けるものではありません」とわざわざ言い訳をしているが、だとしたら、そもそもこの文章を署名運動の説明文に含める必然性がない。

第1回の開催で共同で運営をした、株式会社土は、アダルトサイトの運営もしていました。

株式会社土は、第1回の展に資金を提供しているものの、それ以降は展からは手を引いている。大月久司氏もそれについては同意しており、「第1回の開催で共同で運営をした」と注記を入れている。しかし、大阪展を阻止する趣旨からすれば株式会社土についての記述は不要であるし、どうしてもその記述を残すのであれば、第1回を除いては株式会社土が関与していないことを明記すべきだろう。

結局のところ、大月久司氏も当初はアダルトサイトに対する敵意を反展署名の主要な根拠にしていたのであり、それを前面に出さなくなった訂正後の説明文でも、多くの読者は同様の先入観を持って読むことが確実である。大月久司氏は言葉を濁して逃げているけれども、アダルトサイトの持つやましさ、いかがわしさといったイメージを読者が自主的に読み取ることを期待して、あえてこの記述を残している。

反展署名の説明文は、どこを取っても、署名運動の創始者自身が事実として認めていないことを、読者に想像させようとする、不正な印象操作である。